【しくじり先生のコラム①】株の失敗談から学ぼう!

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こんにちは。個人投資家のsoiyaです。
株式投資を始めて7年になります。

2019年に話題となった「2000万円問題」以降、周りの友人・知人から、

○株をやりたいと思っているんだけど教えて!

○今のうちから資産運用しておきたい!

○そろそろ始めたいけど何からやればいい?

という声がかかるようになりました。

株式投資とは何でしょうか。
株式投資を始めることで将来への不安は消えるのでしょうか。
株式投資を始めたら幸せを掴むことができるのでしょうか。

私は、2020年に投資家歴7年目にして、ひとつの区切りを見ました。

これから始めようとする方はもちろん、すでにやり始めた方で、これまで絶好調な方、絶不調な方、休んでいる方、辞めてしまった方…
色んな方がいると思いますが、私のこれまでの経験から何かを掴んで頂ければ幸いです。

価値観や知識をつくるもの

投資判断の基礎となる価値観や知識、それらを活かしたスタイルや投資哲学は、生まれ育った環境・学生時代に学んだ事や感じた事・社会に出てから学び、感じた事等が大きく関係してきます。

自分の歴史を改めて振り返ると自分の特徴が見えたり、良くも悪くも判断にバイアス(偏った考え方)がかかる理由が見えてきます。

大事なのは○○力

株式投資に限らず、「○○力」という言葉がありますが、どんな言葉を思い浮かべることができるでしょうか。

知力、学力、記憶力、地頭力、体力、気力、判断力、想像力、観察力、洞察力、応用力、忍耐力、努力、文章力、読解力、直観力、精神力、持続力、実行力、集中力、語学力、数学力、計算力、行動力、経済力…。

ざっと思い浮かぶだけでこんな感じでしょうか。

それでは、この中で何が一番大事なのでしょうか。

答えは、すべて必要です。
一方で、全て必要ないということもできます。

何人かの投資家の方と飲みながら話したり、雑談した結果にすぎませんが、私と同じく数年続けているような人がたくさんいますが、それぞれ返ってくる「○○力」の答えは違うのです。
また、この答えは、常に変わり続けることでもあると思っています。

これは、このうちの何かが絶対に必要なわけではありませんが、何かが極端に欠けていてもいけないということを表しているのだと思います。
そのうえで、自分はこれだけは誰にも負けない! という「○○力」を武器に自分のやり方を見つけていくことが大事なのだといったところでしょうか。

ちなみに、私は、少しずるいですが「総合力」と返すことにしています。

勉強してから始めたい?

株式投資を始める前に「もう少し勉強をしてから始めたい」という方を周りにも多くみます。
これは上記のうち「学力」のうちのほんの一部にすぎないことを気にしすぎな気がします。
もちろん、サッカーで手を使ってはいけない、バスケで3歩以上歩いてはいけないといったように、株式市場でのルールは覚える必要がありますが、やる前から何かを勉強したところで実際に使えることはほぼないので、まずはやってみることが大事だと思います。(実行力?)

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私のバックグラウンド

さて、あなたは既にこれまでの人生の中で様々な「○○力」を身に着けているはずです。
勉強が好きだった方やスポーツに打ち込んできた方、仕事で培ってきた能力などなど。
これまでの人生で培われたモノを振り替えることからはじめてみましょう。

ここでは私の振り返りをツラツラと書きます。
概要的には「ちょっと勉強のできる田舎者の学生時代とその後世間的に良いと言われる会社に入り、色々なことを学んだ」という話です。

このバックグラウンドが、後の投資家人生で役立つことばかりになるのですが、うまくいくことばかりでなく、そこに自信を持ったばかりに、のちにしっかりとボコボコにやられるという話も出てきますので安心してください笑

ご自身の振り返りと重ねて読んでいただけると幸いです。

田舎育ちの世間知らず

私は山林と田畑に囲まれた大自然の中で育ちました。

学校までの約2kmを行きも帰りも毎日走って登下校。
野球部だったので部活がある日は泥まみれになりながらひたすら白球を追いかけていました。
部活がない日は公園でサッカーをしたり、近くの川や湖で釣りをしたり。
釣った魚はもちろん自分で捌いて料理して食べていました。

今思うと、野生児のような笑、まるで都会とはかけ離れた少年期を過ごしました。

野球は小中高と続けていましたし、すべて副将としてチームの参謀役をしていました。
おかげさまで基礎体力だけではなく、スポーツを通じた礼儀やマナー、チームをまとめる協調性やリーダーシップ等、人づきあいに対する考え方なんかもある程度、野球を通して培われたものが多いかと思います。

勉強の方はというと、なかなか真面目にやっていて、小中学校では常に首席争いをしていました。
知らないことを知ることが好きで、それを通して誰かと競争するということが楽しかったのです。
野球のおかげか生まれ持った性格なのか、勉強においても「負けたくない!勝ちたい!」という気持ちが強かったのだと思います。

しかしながら、田舎で野生児のように育った私は、特に将来やりたい仕事や夢も持っておらず、将来の夢は?と聞かれるたびに困っていました。

父は公務員に近い仕事をしていました。
その背中しか見て来なかった私は「公務員になるか」ぐらいしか考えていませんでした。

というかその選択肢しか知らなかったのです。
勉強はある程度できるけど世の中の事は何も知らない、ただの世間知らず。そんな中学生でした。

鼻を折られた高専生活

高校受験では地元の高専を受けました。
将来、工業分野で働きたいとも思っていませんでしたが、小学生の頃に連れていってもらった発電所見学から電力関係には少し興味がありました。
また、その頃にスクウェア社が製作したFFⅦにハマっていたのでプログラミングというものを学ぶとこんな世界を作ることができるのか!とゲーム製作に少し興味があったぐらい。

世間知らずにも程がありますが、成績が良く生徒会と部活の副将もしてたこともあり、一応は模範学生として評価されていました。受験するにあたり、学校から推薦をもらえたので受けてみるか〜ぐらいのノリで。一番の理由は「近いから」だったのかもしれません。

入学して思ったのは、みんな中学生の時から世の中にはどんな仕事があって、自分はどんな仕事をしたくて、だからこういう勉強をしてきて、ここを目指してきた結果しっかりここに立っていて。

これから先は、どんな事を学んで、大学や院に行ったりして更に知見を積んで、将来はこんな企業に就職をしたい…と若いうちからしっかりした人生設計をしているものだなぁということ。
将来の話を友達とする時はただただ感心させられるばかりでした。

と、同時にクラスメイトは皆すごい人らばっかりで追いつける人達じゃないんだなと思いました。
目的があって一途に学ぶ事ができる人達の成長は凄まじく、どんどん置いていかれたのを思い出します。

当然、私は専門分野の勉強についていけず、劣等感しかありませんでしたが、協調性とユーモアだけは持っていたので友達はたくさんいて、試験前になる度、ノートを借りたり丁寧に教えてもらったりと常に助けてもらっていました。
学年を越えて友達が多かったので、文化祭では初のエンターテイメント風の研究発表をしたり、体育祭では初の実況席を作り先生をゲストにいじりながらラジオ実況的なことをして盛り上げたりと、行事ごとを楽しませる役としては、一躍かっていたかと思います。

今、改めて「高専卒」が見直されていますが、高専は志も能力も高い人達が集まるところで、専門分野は大学より強く、企業側から即戦力としての評価も高いのです。
おかげさまで私でも就職する事ができました。
しかも誰もが知る大企業に!

当時は何となく「安定した大企業」ぐらいにしか思っていませんでした。株式投資を経験した今、改めて見ると日経平均が今の半分ぐらいだったのにもかかわらず、当時で時価総額約2兆円超え、配当利回りは安定して4%近くある超成熟企業。
関西財界の雄とも言われている会社の一員になったのです。

小学校の頃に親に連れられた発電所見学から少し興味のあった電力業界。
高専時代は弱電系の半導体やプログラミングが苦手(※)でしたが、電気機械や回路等の強電系はまだ理解できたので何とか合格点には至ったらしく。
一方で、面接は自信がありましたので、何とか採用を勝ち取る事ができました。

※プログラミングと半導体

今思えばプログラミングは義務教育のひとつになり、半導体も目まぐるしく変わるIT時代への変化を支える産業で、こちらも真面目に勉強しておくべきだったなぁと後悔させられます。
ただ、基礎として学んだ事は確かなので、普通の人よりは理解しているつもりです。これが今のIT関連銘柄を調査・分析する時に役立ったりするわけで、不思議な縁というか、高専を選んでいてよかったなと思う事が多々あり、大変ありがたいことでもあります。

ITやプログラミング、ニューラルネットワークといったことをもっと真剣に学んでおけばよかったと後悔します笑

劣等感と反抗期

電力会社に入って思った事は、高専時代に思った事と同じでした。

周りは皆、今自分がここに立っている「番地」を目指して頑張ってきた人達で、志も能力も高い。

すぐに理論や仕事を覚えて、みるみる成長し、あれよあれよと出世していきました。
全国でも有名な大学や院を卒業してきた人らばかりで初めから比べものにならない事はわかっていましたが、負けず嫌いの私には悔しさを味わい続ける日々でした。

大企業ならではかも知れませんが、採用した時点でおおよそ自分の社員としてのゴールは決められていました。
これから30年かけて現場管理の課長クラスになってもらうつもりだと伝えられた時には、「自分の人生を会社が勝手に決めるなよ」と感じたのを覚えています。

敷かれたレールを走る事に嫌気がして、悔しさに涙したこともありました。
たかだか20年しか生きていない経験からの判断で選んだ道が、その瞬間から先の自分の一生を決める事になるとは。

仕事に興味が湧かず、目の前の作業をこなす日々。
そんな姿勢で成長するわけもなく、もちろん評価もされず、同じ高専卒の中でも置いていかれて、劣等感を感じる日々でした。

ここで、私の経験からひとつ覚えておいて欲しいのは、仕事や勉強と一緒で、株式投資においてもイヤイヤやっていては一向に成長しないということです。
楽しんでやること、それがなによりの成長の近道だと思います。

自分の道は自分で開くもの

かと言って、社会人生活は腐っていたわけでもなく、むしろ闘志を燃やし続けていました。

もし、この先に歩むレールを増やしてくれるなら(将来の選択肢が増えれば)、自分自身を鼓舞する事ができるだろうと考えました。
上司や人事に異動希望の話を持ち込んだりと、生意気な若手社員でした。

ただ、口で言うだけでは簡単だと言う事もわかりきっていたので、能力や態度でも示そうと必死でした。

みんなが仕事で当たり前にやっている事は当たり前以上にこなしてやろうと思い、仕事は順調にこなしていました。

当時興味のあった経理部門にアピールする為にやった事もない日商簿記2級を独学で2か月で取って(※)、「次は1級なんで受かったら真剣に考えて下さい!」って喧嘩売ったり笑。

他にも取れそうな資格を勝手に取っては、求められてもいないのに報告しに行き。
半年に一度のキャリアデザインシート提出と面談では、ここに一生いるつもりはないと訴え続け。

それでも「じゃあ辞めろ」と言わず見捨てなかった上司は本当に温かい人達だったと思います。

今思えばただのクソガキだったと思います笑

とにかく問題児だったのですが、やる気を買ってくれたのか(?)、私が歩むべき道を探していただき、私が社会人として一段どころか十段ほど、レベルアップする事となることになる課へと異動する事となりました。

※簿記と会計の知識

これも不思議な縁でしょうか。
この時に取得した日商簿記2級の知識は、企業の財務分析等に大変役立っています。

当時の目的とは違えど、知識として取得したものにムダなことは何一つなく、長い人生の中で、役立つ時が来るものです。

もちろん税理士や公認会計士みたいな上級者のような分析にはかないませんが笑、株式投資に活用する程度であれば十分な知識となっています。

ようやく社会人らしく

そこでは尊敬する上司に出会う事ができました。
いつも楽しそうに仕事をしていて、仕事の本質を掴んでは、適切な処置を取る。何が大事で、何が不要か。
それを真っ先に掴むから仕事が速い上に正確、かつ力を抜くところも分かっている。
これは今でも私の仕事の基礎となっています。

主に電気や機械、設備工事の発注や積算、施工管理をやっていたので、現場の知識だけでなく、コスト意識を持つことに繋がりました。企業の全体像を掴む事、自分が持つ役割、会社に貢献できる事、会社を通して社会に貢献できる事等を意識して自分の職務を全うすること。
当たり前の事ですが、24歳でやっと一人前になれた気がしました。

初めて「仕事って楽しいなぁ」と感じ始めました。
そうなると、これまで横道を向いていた力はその方向を向き始めます。
楽しくて、興味があって仕方がなかったのと何か形に残そうということで、「エネルギー管理士」の資格を取ったのもこの頃のことです(※)。

※エネルギー管理士

これも今になって思う事ですが、2020年後半は、米選挙をきっかけに世界的にも環境への関心が高まり、再生エネルギー関連の銘柄が人気化する年でもありました。
こういう時にも過去の知識が役立つもので、あの時、興味を持って知識として習得したことも巡り巡って繋がってくるのだなと考えさせられます。

情報のとらえ方

転機は2011年3月11日。
あの日から電力業界はがらりと変わりました。
これまで安定業種と言われた電力業界のイメージは崩れ、悪い意味で注目されるようになりました。

インフラ部門を支える職業というのは、普段何事もなく安全に使われている時には誰かから感謝されることは滅多にありません。
しかし、日々当たり前に使っているインフラの裏では、24時間365日、当たり前に使われる事を前提として、それをやりがいもして、その設備を支えている社員と、その何倍もの数の協力会社の社員達がいるのです。
その多くの人たちがある日を境にまるで悪者のように扱われるようになりました。

その日以降、一気に悪役になった電力会社。
国や地方自治体からも責められ、マスコミは連日の電力叩き。
良い面は無視され、悪いと思われる事は重箱の隅をつつくように探される。どんな小さな事でさえもやたらと大きな記事に。
当時は今ほどSNS等の力もなく、マスコミの言う事だけが真実のような世の中でした。

こうやって民意は作られていくのかと感じました。
そして政治は民意を無視できないのも真実。
国民の総意のごとく一方通行の批判が向けられる毎日。
歯を食いしばりながら自分のチームを鼓舞し、自分らのやるべき事を粛々とやり、ひたすら激務をこなす日々でした。

この頃から、新聞記事やテレビのニュースで流れる情報を自分なりに受け取って考えて処理するクセがつきました。

田舎で育った世間知らずの私が、最初に世間を疑い始めた時です。

真実は自分で見極めろ

世の中で表に出ている事はほんの一部に過ぎず、それは誰かに都合が良いように作られていて、良くも悪くも簡単に変える事ができる。
目に映るものだけが真実ではないという事を教えてくれました。

株式投資をやっていると、いずれ分かると思いますが、ひとつひとつのニュースや出来事と、株価の間には因果関係はありません。
○○だから株価が下がったということもあれば、逆に、○○だから株価が上がったというように表裏一体のことを言う理不尽な世界です。

大事なのは「みんなが言ってるから」「あの人が言ってるから」それが正解ではないということです。

この頃に身に付いたクセですら、役立つことがあるのです。
まさになにひとつムダなことはなく、いずれ役に立つ。

真実は自分で見極めろ。

といったところでしょうか。

株式投資との出会い

さて、およそ株式投資とは関係ないような話ばかりが続きましたが、こんな私が株式投資に出会ったのは上記の「異動」より少し前のことでした。

その頃、先輩に貯金だけしていても増える事はないから、「持ち株制度も活用すれば?」と勧められたのがキッカケです。
銀行の利率はゼロに近いのに対して、持ち株制度では奨励金+配当もあるので当時ではインカムゲインが年率8%近くあったのです。

幸い、世間知らずだった私は、株に対して悪いイメージはなく(もちろん良いイメージもなく笑)、その場ですぐに申し込み、翌月の給与から天引きで積み立てが始まりました。

前述の通り、自分の道は自分で切り開くのが自分の生き方だと思っていたので、いつやりたい事が見つかり、仕事を辞めたとしても好きな事ができるようにと資金づくりも兼ねていました。
ですので給与の20%ぐらいを天引きしていたと記憶しています。

その後すぐに転機が訪れ、急に忙しくなり、仕事にもやりがいを感じ始め、毎日必死に働きまくる事になったので、4年程はほったらかしにしており、自社の株価どころか資産推移すら見ることもなかったのですが。

ー つづく ー

↑お金の生存戦略「THEO」について↑
株式市場では、初心者もプロも一つの戦場で売買しています。
個人投資家と言えど、プロが知っているような知識や情報は当然のように知っておかなければ負けるべくして負けてしまいます。
「THEO」のようにAIが自動で資産運用してくれるサービスもありますので、リスクヘッジの一つとして活用することをオススメしておきます。
債券や現物資産も組み合わせて運用するため株式市場全体が荒れるような場面で守備力を発揮し、資産運用に一躍買ってくれますよ(実体験です)。

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